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岡山地方裁判所 昭和41年(わ)719号 判決 1969年10月03日

被告人 野田義正

大一三・四・一六生 船長

山田喜一

昭二・七・二五生 会社役員

主文

被告人野田義正を罰金五、〇〇〇円に、

被告人山田喜一を罰金三、〇〇〇円に

各処する。

被告人らにおいて、右罰金を完納しないときには金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

本件公訴事実中、被告人山田喜一が被告人野田義正と共謀のうえ、昭和四一年一月一八日頃、興亜火災海上保険株式会社から金六万円を騙取したとの点について被告人山田喜一は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人山田喜一は山田海運株式会社の取締役工務部長をしていたもの、被告人野田義正は同社所有の海雄丸(一、一九三・一五トン)の船長をしていたものであるが、

第一、被告人両名は共謀のうえ、昭和三九年三月一四日、長崎県佐世保市相ノ浦町一、六九一番地所在九州海運局佐世保支局相ノ浦出張所において、同海運局長に対し、真実は同月九日福島県小名浜港外において、前記海雄丸の左舷錨鎖を故意に切断海没せしめたのではないのにかかわらず、右錨鎖は風波強大となり船体の動揺甚しく揚錨作業が困難となつたためやむなく自らこれを切断海没せしめた旨虚偽の事実を記載した捨錨報告書を提出し、同局長の認証を受け、もつて虚偽の海難報告をなし、

第二、被告人野田は、昭和四〇年九月一三日、北海道室蘭市海岸町一九番地所在北海道海運局室蘭支局において、同海運局長に対し、真実は接触事故がなかつたのにかかわらず、同月一一日前記海雄丸が秋田県酒田港において台風避難中、右舷船首外板が激しく岩壁に接触した旨虚偽の事実を記載した岩壁接触報告書を提出し、同局長の認証を受け、もつて虚偽の海難報告をなし、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照すと、被告人両名の判示第一の所為は船員法一九条一号、一二六条六号、刑法六〇条、六五条一項に、被告人野田の判示第二の所為は船員法一九条一号、一二六条六号に該当するところ、被告人野田の判示第一および第二の罪は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四八条二項を適用して罰金額を合算し、以上の各金額の範囲内で被告人両名を主文一項の刑に処し、換刑処分の言渡につき同法一八条を適用し、なお、訴訟費用は主として無罪部分につき生じたものであるから被告人両名に負担させないこととする。

(無罪の理由)

一、公訴事実の要旨

被告人両名は共謀のうえ

(一)  昭和三九年三月九日、山田海運株式会社所有の海雄丸が、福島県小名浜港外に停泊中、同船左舷錨鎖が老朽のため自然に切れて海没したことにつき、海難を装つて同船につき船舶保険契約を締結している神戸市生田区栄町通三丁目一番地所在興亜火災海上保険株式会社から、右錨鎖の修復工事代金のてん補保険金名下に金員を騙取しようと企て、同年三月一四日、長崎県佐世保市相ノ浦町一、六九一番地所在九州海運局佐世保支局相ノ浦出張所において、同海運局長より「右錨鎖は風波強大となり船体の動揺甚しく揚錨作業が困難となりやむなく自らこれを切断海没せしめた。」旨虚構の事実を記載した捨錨報告書の認証をうけたうえ、これを前記興亜火災海上保険株式会社神戸支店に提出し、右報告書の内容が真実であり右錨鎖が右虚構の海難により海没せしめたように装い、その修復工事代金の保険によるてん補方を要求し、同社同支店査定員河津磐夫をしてその旨誤信させ、よつて、同年七月一三日頃、同社同支店において、同社をして因島船渠株式会社に対し右錨鎖の修復工事代金のてん補保険金名下に七四万八九一八円を交付させてこれを騙取し、

(二)  昭和四〇年九月一一日、前記海雄丸を台風をさけるため秋田県酒田港西埠頭に接岸せしめたが、右台風による被害は皆無であるのに、かねて凹損を生じていた同船右舷船首外板が右台風のため同船が岸壁に接触した際損傷を受けたもののごとく装いその修理工事代金を保険金によりてん補させようと企て、同月一三日、北海道室蘭市海岸町一九番地所在北海道海運局室蘭支局において、同海運局長より「台風避難中右舷船首外板が激しく岩壁に接触した」旨虚構の事実を記載した岩壁接触報告書の認証をうけたうえ、これを前記興亜火災海上保険株式会社神戸支店に提出し、同年一一月二九日、広島県沼隈郡沼隈町常石所在常石造船株式会社において、右海雄丸が同所にドツク入りした際、同支店査定員藤田民夫に対し右報告書の内容が真実であり同船右舷船首外板が右虚構の海難により損傷を生じたもののように装い、その修理工事代金の保険によるてん補方を要求し、右藤田をしてその旨誤信させ、よつて昭和四一年一月一八日頃、大阪市港区弁天町三丁目七番地所在山田海運株式会社大阪事務所において、前記興亜火災海上保険株式会社から右右舷船首外板の凹損個所修理工事代金のてん補保険金名下に六万円の交付を受けてこれを騙取し、

たものである。

二、当裁判所の認定した事実

(一)  被告人両名の当公判廷における供述(中略)によると、被告人両名は、山田海運株式会社のため、前記興亜海上保険株式会社神戸支店に対し、前記公訴事実の要旨に記載のような虚偽の内容の海難報告書を提出し、同記載のような事情で錨鎖の喪失および船首外板損傷が生じたことを理由にその修複工事代金の保険によるてん補方を要求し、同支店係員をして、その旨誤信させ、前記各記載の保険金を交付させた事実を認めることができる。

(二)  前記認定の事実によると、被告人両名は、前記錨鎖の喪失および船首外板損傷について、前記保険会社に対し、その成因について虚偽の事実を告知し、その旨同会社係員を誤信させて金員を交付させているのであるから、本件はいずれも、詐欺罪の成立を認めさせるような事実は存在している。しかしながら、取り調べた証拠によると、本件錨鎖の喪失および外板損傷につき、山田海運株式会社において、前記保険会社との間に締結していた海上保険契約に基づき、その修復代金の保険によるてん補を請求する権利を有した疑があり、被告人両名はその権利の行使に際して前記のような虚言を用いたと窺わせるような事実が認められる。しかして、権利の行使に際して虚言を用いた場合には、詐欺罪の成立しないことがあるので、次に、まず、権利の有無につき順次検討してゆくことにする。

(三)  まず、前記公訴事実(一)の左舷錨鎖の喪失の件について考えてみることにする。本件錨鎖の喪失の原因として検察官の主張するところは「海雄丸が福島県小名浜港外に停泊中、錨鎖が老朽のため自然に切れて海没した。」というのである。しかして、錨鎖切断の事情が右のようなことであれば、その修復工事代金の保険によるてん補を求めえないことは本件海上保険契約の約款に照らして明らかである。しかしながら、検察官が主張する「老朽のため自然に切れて海没した」との点についてはこれを認めるのに多分に疑問の存するところである。すなわちこれを詳説すると、被告人野田は検察官および海上保安官に対し、錨鎖切断の原因について、検察官の右主張にそう内容の供述をなし、それが供述調書に録取されているのであるが、右自供は、同被告人においてその任意性を争い、その内容の誤りであることを強く主張しているものであつて、他の証拠と対比するなどしてその内容の信用性については慎重な吟味を要すると考えられるところ、右自供を裏付ける証拠としては、わずかに、同被告人の日記中本件の翌日に当る昭和三九年三月一〇日の欄に「切れた錨鎖をみるとロクロクついて居なかつたので切れるのが当り前と思い安心する」との旨の記載および同日記ならびに同被告人の書簡(妻に宛てたものなど)中に会社のため虚偽の海難報告をとることに対する苦衷を窺わせる内容の記載があるのみで、他に物証その他右自供の信用性を補強するに足る証拠が存在しないのである。しかして、本件海雄丸は、いわゆる戦時標準型の船舶であつて、材質の不良と使用年限等より、全体として老朽化していたといえるかも知れないけれども、現に運航中であつたうえ、所定の検査も受けているのであるから、本件当時その鎖がロクロクついていなかつたような状態であつたとは考えられないばかりか、右日記の記載についても、その末尾に「安心する」との文言があり、これは錨鎖の喪失が船長たる被告人野田の操船の誤り等によるのではなく、器材の不良に起因するので、自己に責任が無かつたことに対する安堵の思いを表現したものと解せられるが、これによれば同被告人が当時、会社に対する自己の責任のすくないことを願つていた心情が窺われるから、鎖の切損部分についても自己に責任のない方向に誇張して記載、記載される可能性も認められるので、右の「ロクロクついていなかつた」なる文言を文字どおりに解釈するわけにはゆかないと思われる。又他の虚偽の海難報告をとつて保険金を不当に得ようとしていたことを窺わせるような記載は、それが存することは認められるけれども、いずれも本件とは日時を異にするものであるうえ、かような漠然としたものをもつて、自供の信用性を補強することはできないと考える。しかして、一方、当時海雄丸に乗り組んでいた証人池田昭雄、同石原武夫、同浅利文昭らが、いずれも当公判廷において、異句同音に、右錨鎖は新しいものではなかつたけれども、老朽化していたという程のものではなく、又本件錨鎖の切断は、台風通過中の強い風波の中で、危険を避けるため、転錨を企図しての揚錨作業中に生じたことを認めさせる旨の証言をしており、被告人野田の前記日記中本件当日の欄の記載によつても、錨鎖の切断が停泊中に生じたことを確認する部分は存在しないのである、これらを綜合して考えてみると、被告人野田の前記自供は信用しがたいものというべく、検察官の「錨鎖は、停泊中、老朽のため、自然に切れた」との主張は、他にこれを確認するに足る証拠のないことは前記のとおりであるから、これを認めがたいといわざるをえない。

ところで、被告人野田は、当公判廷において、本件錨鎖切断時の事情について次のように述べている。すなわち、北海道釧路から石炭を満載して名古屋へ向け航行中、台風を避けるため福島県小名浜港外に停泊中、右舷錨鎖の異常な緊張に気付き、同錨鎖が切れれば船体が移動して浅瀬に乗り揚げ転覆するなど、船舶および積荷に対する危険が予想されたのでこれを避けるべく、急遽転錨を企図してスタンバイを下命し揚錨作業を実施させたのであるが、停泊位置およびその水深、風向および波浪の方向よりして、反対側錨鎖をくりのべて行く通常の揚錨作業には危険を伴つたため、左舷錨鎖の切断を予期しながら、これを揚錨中切断海没せしめたものであつて、通例なれば捨錨の方法をとるべきであつたろうが、寒気と動揺中の捨錨作業の困難と無事揚錨しうるかも知れぬとの期待から右の方法によつたのである、と。右供述が果たして本件当時の事情を正確に伝えるものかどうかは、にわかにこれを断定しがたいものがあるけれども、当時二等航海士として海雄丸に乗船し、証言時すでに山田海運株式会社を退職していた証人石原武夫が「あれが(左舷錨鎖のこと)、もし切れてなかつたとしても、そうせな(切断しなければのこと)いかんような状態であつたと思います。」と証言していること、その他同証人および証人池田昭雄、同浅利文昭の証言などに照すと、あながち虚偽仮装のものとして排斥し去ることもできず、一応信用するに価するものと思われる。

しかして、証人藤田民夫の当公判廷における証言などによると錨および錨鎖の損害が船舶保険第五種特別約款一条四項の「共同海損たる処分に因り被保険船舶につき生じた修繕費」として保険金によりてん補される場合は、通常は船舶および積荷が危険に瀕し、錨鎖を故意に離脱喪失した場合(いわゆる捨鎖)であるか、錨鎖の喪失を予期してその異常使用を余儀なくされた場合もこれに含まれると解せられているとのことであつて、仮りに前記被告人野田の供述にあらわれた事実どおりとすれば、本件につき生じた錨鎖の損害は、右特別約款の規定に従つて、てん補される余地のあることが認められる。そして、山田海運株式会社と前記保険会社との間に締結された船舶保険契約には、右第五種特別約款の付されていたことが認められるので、本件につき山田海運株式会社は、前記保険会社に対し、右錨鎖の修復代金の保険金よりのてん補を請求する権利を、有していたと確認できないとしても、すくなくとも、これを有していた疑は存するものというべきである。

(四)  次に、前記公訴事実(二)の船首外板の損傷の件についてみると、同損傷が酒田港で生じたものでないとの検察官の主張は被告人両名も当公判廷でこれを認めているところであるが、被告人野田の当公判廷での供述、証人呉羽健作の当公判廷での証言によると、同損傷は昭和四〇年八月一二日洞海湾内の黒崎港に入港した際に生じたものであること、証人藤田民夫の当公判廷における証言によると、右損傷を見分した結果、いわゆる保険事故に該当するような形状を有していたものであつたことが認められる。してみると、右損傷については、山田海運株式会社において、前記船舶保険契約に基づき、その損害のてん補を請求しうる権利を有していたものと認められる。

三、詐欺罪の成否について

(一)  前記認定のように、公訴事実(一)の事案については、切断海没した錨鎖の修復工事代金の保険金によるてん補請求権を有していた疑のある場合であり、公訴事実(二)の事案については、損傷した船首外板の修理工事代金の保険金によるてん補請求権を有していた場合であるから、いずれも権利行使に当ると考えられるのであるが((一)の場合は請求権の存在は明確には認められないが、その存在の疑があるのみでも詐欺罪の成立を否定すべきこととなるので、請求権が存在している場合と同視してよいと考える)、すべての権利行使の場合に詐欺罪の成立が否定されるのではなく、その際用いられた詐言の程度が一般社会の通念に照し刑罰をもつて臨むほどの違法性を具有しない場合でなければならないと考える。そこで、順次その点について検討を加えることとする。

(二)  公訴事実(一)の事案は、捨鎖によつて船舶および積荷の危険を避けた事実がないのに捨鎖したものと保険金によるてん補の請求をしていること前記認定のとおりである。しかして、錨および錨鎖の切断が共同海損と認められる典型的な事例は右の捨鎖の場合であつて、現に被告人両名は当時、捨鎖の場合でなければ保険金が出ないと思つていたようであるが本件における前記のような事情のもとでも共同海損と認められる余地があるとすれば、右詐言は、客観的にこれをみると保険金によるてん補をより容易に得るため言い換えると保険会社での審査を安易にするためのものと解しうるのであつてこの程度の詐言は刑法上詐欺罪の手段と認める程の違法性を有しないと解すべきである。よつて、本件については詐欺罪の成立を認めるのには疑問が存すると考える。

(三)  次に、公訴事実(二)の事案は、昭和四〇年九月一一日酒田港で船首外板の損傷が生じなかつたのに生じたものとして保険金によるてん補の請求をしていること前記認定のとおりである。しかして、保険金によるてん補の可否を決する最も重要な事項は、その損傷がいわゆる保険事故か否かという点であつて、それが生じた日時、場所は特別の事情のない限り、保険事故の成否の決定の附随的参考的事情と考えられる。本件の場合は前記のとおりその損傷自体によつても保険事故と認められるような外観を有していたものであるから、特別の事情につき立証のない以上、日時、場所についての本件詐言の程度は刑法上詐欺罪の手段と認める程の違法性を有しないと解すべきである。よつて、本件については詐欺罪の成立を認めるべきではないと考える。

四、結論

以上に述べたとおり、前記公訴事実(一)、(二)の詐欺の事実については、いずれも犯罪の証明が十分でないので、刑訴法三三六条に従つて無罪の言渡をすべきであるが、被告人野田の(一)、(二)の詐欺の事実および被告人山田の(一)の詐欺の事実は、いずれも有罪の認定をした船員法違反の罪と一罪の関係にあるものとして公訴の提起がなされているので、いわゆる一罪中の一部無罪の場合であるから、理由中で判断を示すに止め、主文において特に無罪の言渡をしないが、被告人山田の(二)の詐欺の事実は、船員法違反の事実につき公訴の提起がないので、一罪中の一部無罪の場合でないから、主文において無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

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